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2014.07.29 Tuesday
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日々の泡沫
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最近本屋で見かけて気になった絵本。「うきわねこ」。
何より絵がいい。主人公の猫の「えびお」がかわいすぎる。(しかもその名前。どこからきたんだろ。えびお。かわいすぎる。)誕生日プレゼントにおじいちゃんがくれたのはうきわ。そのうきわは実は満月の夜には・・・。というお話も絵にぴったり合っていた。
ふと満月の夜には窓枠に頬杖ついて空を見上げてみたくなるような、そんな絵本。
最近よく見るこの姿。
おじょうななんでかわたしのタオルケットにお尻から上だけくるまって眠るのが好きなのだ。
ふらふら〜と自分の部屋に行き、ひょいと見たベッドの上にこんなのがあるとふにゃんと力が抜けてしまう。
なんで、なんで?足だけ出してるのだー。ねー、おじょうさん。
「かまわぬ」のてぬぐい。
下に敷いているのが山百合で、上のが露草かなぁ、たぶん。色合いとシルエットがなんとも言えずすてき。
てぬぐいはネットショップでもよく売っているので手に入れやすいのだけど、やっぱり実際に見て触って選びたいもの。なので行きやすい代官山の「かまわぬ」のものが増えてゆく。あの店の佇まいも落ち着くので近くに行くとついついふらふらふら〜と寄ってしまう。
最近気になっているのは「RAAK」。お店は京都にあるらしい。京都かぁ・・・。行きたいなぁ。
先日作った紅しょうが。梅干しを作ったときにできる赤梅酢で新生姜を漬けて作る。写真は赤梅酢に漬けたあと天日干ししているところ。
保存食作りというのは、まず「つくる」ということ自体が楽しい。季節を感じ、自然の恵みに感謝しめいっぱい享受する。自然が作り出す色や香りを直に感じ、あじわう。そんな「つくる」過程に喜びや驚きがつまっている。
もちろん、出来上がったものを「たべる」ことも楽しい。食べるまでにはたいてい長い長い待つ作業があって、それを乗り越えての「食べる」瞬間は何より待ち遠しく幸せなものなのだ。
そして、さらにその幸せを「共有する」ことも最高に楽しいこと。初めて作った梅干しも梅酒も今までわたしが作ってきた保存食はたいていが家族や親戚、友人たちのもとへと旅立っていった。自らの手で時間をかけて作った保存食たちはちょっと大げさだけどわたしにとっては子どもみたいなもので、それを大切なひとたちに手渡すときにはちょっぴり不安でもあり、自慢げでもある。そんなわたしの保存食を食べたひとたちからの言葉は何より嬉しいもの。「食べたよ」それだけでもとびあがるほどうれしいのだ。
今年もそうして旅立った先から嬉しい言葉がかえってきた。そのうちのひとつがこちら。→友人どんぐりさんのブログ。
初めてどんぐりさんに梅干しをあげたときだったかな、「弁当に毎日入れて行っているよ」そういわれたときの嬉しさったら!今でも思い出すとにやにやしてしまう。絶対に絶対に来年も梅干しをつくろう、そう握りこぶしをひそかに作ったのだった。
ひとりで作ってひとりで食べるだけでもじゅうぶんに楽しい保存食作り。だけどそこにいっしょに味わってくれるひとたちが加わったのなら……楽しくって嬉しくって幸せな保存食作りになる。
来年ももちろんやるよ!楽しみにしててね。
珍しくもレースのカーテンで爪とぎをして・・・
すぐさまみつかって叱られて・・・
そしらぬふりをするおじょう。
(そしてのんきにその様子を写真に撮っていたばかりについでに叱られるわたし。)
暑い日が続いている。
夜になっても気温はたいして下がらず、おまけに蝉まで夜通し鳴き続けているものだからなんだか眠りが浅くなっている気がする。
昨夜もなかなか熟睡することができず、ようやくうとうとしかけていたときに、ベッドからはみだしていた足に何かひょろひょろしたものがするりと触れて思わず飛び起きてしまった。さらにその後、再びうつらうつらしかけていたときに、おでこを何かふかふかしたものがふわりとこすっていったことに驚いて跳ね起きたのだった。おかげであんまり寝た気がしなくて朝になって家族にそう訴えていたのだけど、話を聞いていた家族はすぐさまそのひょろひょろ及びふかふかの正体を察して笑うばかりなのだった。
もちろん、その正体は、おじょうのしっぽ及びおじょうのお腹(たぶん)なんだけどね。