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2014.07.29 Tuesday
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日々の泡沫
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最近本屋で見かけて気になった絵本。「うきわねこ」。
何より絵がいい。主人公の猫の「えびお」がかわいすぎる。(しかもその名前。どこからきたんだろ。えびお。かわいすぎる。)誕生日プレゼントにおじいちゃんがくれたのはうきわ。そのうきわは実は満月の夜には・・・。というお話も絵にぴったり合っていた。
ふと満月の夜には窓枠に頬杖ついて空を見上げてみたくなるような、そんな絵本。
「ネコには九つの命がある!」
今年の友人からの誕生日プレゼントのうちの一冊、「ネコのアリストテレス」の帯にはこんな言葉が書かれていた。
訳者あとがきによればこれは英語のことわざから来ていて、その意味は「ネコは九回生まれ変わるーつまり、ネコは長生きで、そうかんたんには死なないということ。」らしいのだけれど、さらに付け加えて言えば、ネコはそれだけ死にそうな目に遭うほど好奇心旺盛で思いもかけないことをやってしまうということ、でもあるんじゃないか?そんなことを考えてしまうのはこの本の主人公ネコのアリストテレスのせいでもある。
それほど次から次へと自ら死にそうな目に遭いに行くアリストテレス。もちろん死にたいわけじゃないから必死で逃れようとするし、逃れたあとは学習して同じ目にあわないようにする賢さもあるわけなのだけど。それにしても本当にアリストテレスったら目が離せない。飼い主であるおばあさんの肝の冷えっぷり、命の縮み具合を心配しちゃうほど。このおばあさん(実はほうきで空を飛べる魔女なのだ。なのに飼い猫に選んだのが白猫のアリストテレスだった)もまたこの本の魅力のひとつでもあると思う。最初はそっけなく冷たく感じるこの魔女のひととなりが次第に明らかになってゆく。さりげなく描かれる、死にそうな目にあうたびに繰り返されるアリストテレスとのやりとり。そしてアリストテレスの何回目かの命を失う原因となった犬ガブリとのおばあさんとのやりとり。そして合間に挟み込まれる素敵な挿絵。読み始めはアリストテレスのあまりな暴れっぷりに影の薄かったおばあさんが最後にはくっきりと存在感を増し、アリストテレスが九つめの命をなんとか失うことなく、二人でいっしょにしあわせに暮らしている、という最後に暖かなものがこみあげてきたのだった。
昨年のクリスマスに友人に贈ったけれど、自分でも欲しくなって自分用に購入した一冊。
作者のどいかやさんといえば言わずとしれた人気絵本作家。
どの本屋の絵本売り場に行っても必ずどいさんの「チリとチリリ」は目立つところに置いてあるしその絵も見ればすぐに彼女のものだと分かる。けれどそのせいか改めて手にする気持ちになることがなかなかなくって、実はきちんとどいさんの絵本を読んだのはこの「ハーニャの庭で」がはじめてだった。
なんともいえず美しい絵本。
やさしくあたたかな絵と確かにだけど押し付けがましくなく自然に伝わってくるどいさんの信念のようなもの・・・。
「ハーニャの庭で」はそのタイトルそのまま、猫のハーニャが暮らす庭の、移り変わりゆく四季を描いたもの。
どのページの庭にもたくさんのいきものたちが描かれている。
そこに訪れるものたち、うまれくるものたち、通り過ぎるものたち、暮らすものたち、庭はそのものたちすべてのものだということが伝わってくる。
ハーニャにとっては人も鳥も虫ものうさぎもりすも猫もみなおなじ。
その大きさに関わらずその長さに関わらず、ひとつの「いのち」。
今まで何度も繰り返されそしてこれからも続いてゆくいくつものいとなみ。
庭のすべてのいのちにそそがれるハーニャの優しいまなざしがじんわりじわじわと伝わってくる。
帯には「じっと目をこらして、そっと耳をすませば 世界はこんなにもゆたかで美しい」とある。
こんなふうに世界をみてみたい。そう思わせてくれる絵本。
それにしてもハーニャをはじめ、でてくる猫たちのかわいいことったら!
実際どいさんは何匹も猫を飼っていて、なかにはハーニャという猫もいるそうな。
どいさんは他にも猫が出てくる絵本をたくさん描かれているみたいなのでひとつずつ探してみたい。
ついでにうちのおじょう。
こどものころどんな少女小説のどんな主人公が好きだった?
わたしはアンよりもジョーよりもセーラよりもピッピよりもパレアナよりも、だんぜんジュディが好きだった。
わたしが愛読していた「あしながおじさん」は訳が谷川俊太郎で絵が長新太。すごい組み合わせ。でもこの組み合わせじゃなくっちゃだめ。高校生ぐらいのときに「続あしながおじさん」を読んだけれど訳が違う人でどうにもこうにもはまりきれなかったことを覚えている。
谷川さんといえばどんぐりさんが「あいしてるって・・・」というタイトルの日記で谷川さんの詩を紹介しているけれど、わたしが少女のころ、「愛」について初めてそのはしっこに触れたと感じたのがこの「あしながおじさん」だった。
ジュディからあしながおじさんに送られる最後の手紙に彼女はこう記す。
「夢にも思わなかったほどしあわせになったかわりに、またわたしはいままでになくしんけんになったの。あなたになにかおこりはしないかというおそれが、影のようにわたしの心にとまっている。まえにはわたしはいつもうきうきして、のんきで、へっちゃらでいられた、だってかけがえのないものなんてなにももってなかったから。」
「わたしの心の平和は、永久にうしなわれた」
少女だったわたしはこの部分に強烈にひかれたのだった。